NPO太東埼燈台クラブ


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大同2年(807年)2月万徳寺(三門)創建
   々      清水寺(鴨根)創建
   々      日在寺(江場土)創建
   々     玉埼神社平塚に創建(後大宮に移る)
大同3年(808年)飯縄寺(和泉)創建現・住職 村田 浩田

灯台周辺の神社仏閣は1200年の歴史あるものが多い
この地が決定的ダメージを受け様変わりした出来事が元禄16年(1703年)である。
11月23日夜八半(午前二時)に大地震があり大津波が押し寄せ波の高さー丈五尺(4.5m)宮前村は1/3波上がり、江場戸村ー帯も波上がり、臼井村、潮音寺、塚通りまで大水となり田畑は2尺(60cm)も土砂で埋まり作付け不能となる。
飯縄寺(和泉)は従来、太東岬の上にあったがこの津波の害を受け現在の地に移築した。
太東岬は現在よりも面積が広く当時はかなり海上に突き出ていたと言い伝えられている。約2里(8km)も現在の岬から海上に突き出ていたのである。現在和泉(いずみ)という地名は伊豆見(いずみ)が語源で大島や伊豆七島等伊豆が見えたからこの地名がついたと言う説がある。
岬の上には当時平和な村があったという。この大津波でこの村は大きな被害を受け村民全てが他へ移転した。その避難先の大半がは荻原村(旧夷隅町)と言われている。
太東岬にあった村は沖原村で移転先を当初そのままの沖原村であったが後に荻原村になったという説がある。荻原村には和泉屋という屋号の家も残っており和泉地区に多い渡辺姓も旧荻原村に多いという。またー説によるとこの大津波で太東岬から岩井(旧睦沢村)に逃れた村民もいたという。
この大地震やその後の海触等約300年の歳月により太東埼燈台沖の海中は機会根と呼ばれる豊富な漁場となり水揚げ日本ーのイセエビをはじめ太東蛸・アワビ・サザエ等磯の恵みを受けている。
参考文献岬町文化年表(昭和48年2月)編集者 清水 豊

「波の伊八」の作品発見!!(飯縄寺)


太東駅から東に2.8キロのところに、千葉県指定有形文化財の飯縄寺本堂があります。
この飯縄寺の「仁王門」から境内に入って行くと、銚子の名工の手による手水場がいかにも歴史を感じさせて
くれます。    一番奥の本堂の内外陳境にある“欄間彫刻”が、俗称「波の伊八」の作で、寛政九年
(1797)に作成したと言われています。    絵柄は、鞍馬山で牛若丸が大天狗より巻物を伝授される図
で、高さ1m×幅4mのケヤキの一枚板に彫られています。
「波の伊八」とは「武志伊八郎信由」の俗称で、「波」
の彫刻では頂点を極めた彫刻家です。葛飾北斎が、浮世
絵で「波」を描いた時のモチーフとしたのも「波の伊
八」の作品で、この作品も太東駅から西に行った夷隅町
のお寺(行元寺)にあります。

波の頂点を極めた「波の伊八」の作品、ご覧になりませ
んか?
伊八の最高傑作・飯縄寺の「大天狗と牛若丸」




長福寺

長福寺(下布施)


長福寺

法興寺 仁王像(岬町岩熊)


出雲大社(国吉)

清水寺(鴨根)


國吉神社

万木城跡公園


名熊の二本杉



海雄寺(寝釈迦様)

鉄造仏頭(てつぞうぶっとう)

鉄造仏頭(てつぞうぶっとう)

鉄造仏頭(てつぞうぶっとう)


玉埼神社(岬町椎木)

スカシユリ


十二社まつり

十三社まつり


穴堰と鍾乳石(山田杉ノ谷)

鍾乳石

穴堰

千本桜(札森)